Last Updated on 2023年2月6日 by chii
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そんなこんなで、私は卵巣嚢胞の緊急手術をしていただいた。私のように13センチにも大きく育った卵巣嚢胞だと、どのみち手術しか解決法はないし、捻転は血流が止まっちゃうと腐っちゃうから緊急で手術を選択された。
開腹して正確に調べないと分からないこともあるとのことで、腹腔鏡ではなく開腹手術だった。腹水もあったので、摘出されたものは700mlにもなったとのこと。開腹は4センチ程度に対して、嚢胞は13センチ。明らかにサイズオーバーなので、少しずつ摘出してくださったそう。お腹にそんなスペースがあったなんて、人体はやっぱりふしぎ。
ものはついでに。触診とエコーの時に、ずっとほったらかしだった子宮頸がんの検査、子宮体がんの検査もやってもらった。
婦人科の検査って痛いし怖いし、あの開脚椅子とかたまらないし、きっと多くの方が嫌だなぁと思って検査に二の足を踏んでいるんじゃないかなぁ。
私はこんなことになるまで、ざっと100の足くらい踏んでたよ。もっと気軽に検査できる方法が生まれればいいよね。
嚢胞以外の結果は入院中に出て、ぜんぶ良性だったので良かった。がん検査も問題ないとのこと。1ヶ月後の再診で嚢胞の結果が分かるらしい。
手術後の痛みについて、傷の痛みやお腹の痛みよりも、私がいちばん痛かったのは胃でした。
激痛が走った19日は固形物を何も口にしておらず、病院で流動食が始まったのは21日。
私は空腹すぎると胃が痛くなることが多かったこともあり、今回も空腹すぎて胃酸が自身を痛めていたのでしょう。夜間に胃薬を処方していただいてだいぶ楽になりました。
「痛いのは我慢しないでね」看護師さんに言われて、素直に「痛くてたまらないから助けてほしい」って言うことができました。誰かに頼るのって、簡単で難しい。
さらに、流動食を始めたら腸が冬眠から覚めたようで、ガスがグルグルと躍動する際に痛みや苦しさを感じたことも地味に辛かったです。おしりから無事に退場していただけたときの安寧はひとしお。
今回、あらためて「排泄」ってほんと奇跡みたいに大切な作業だなと実感しました。
食べることは大切にしやすいのに、排泄ってなんだか不潔で避けがちになるけれど、排泄も消化吸収と同じくらい大変なことなんだと思いました。
看護師さんや先生は、術後は「おならは出ましたか?」と聞くし、その後は毎日「お小水は?」ごはんを食べ始めたら「お通じは?」と聞きます。
取り込んだものがちゃんと出てくるまでが一連の作業で、帰るまでが遠足です的な大切さなのです。
お腹の傷をかばって、お通じの予感を感じても「力むといけなそう」「自然に身を任せて…」と「腸との会話」に全集中でした。
毎日何気なく行っていた排泄行動が、こんなにも大変で奇跡のようなものだったなんて。
術後初めてお通じが出たとき、そして尿カテーテルがとれて自力でできたときの感動。
カテーテル取れた後は毎日排尿量を測らないといけなかったのですが、紙コップを伝う自分のお小水の熱さを感じたときに「生きてる!」って嬉しくなりました。
インプットだけじゃなく、アウトプットもだいじ。
他人の話を聴くだけでなく、自分の気持ちを伝えることもだいじ。
入れる・出すは両方大事。
排泄できたときの感動は「宇宙のメッセージかしら?」と思うほど私にだいじなことを教えてくれたのでした。
手術から3日間くらいは、痛みやしんどさで何も考える余裕がなく、泥のように眠っていました。しかし余裕が出てくると、生命活動から精神活動へ思考がシフトしていきました。
外界から遮断された空間、カーテンという薄膜に遮断された自分のエリアは、まるで細胞の1つのよう。入院中、細胞膜の中でひとりぼっちになりました。
何がいけなかった?
どうしてこうなった?
どうしていくべき?
抱え込みすぎてない?
手放した方が良いものがあるんじゃない?
知らない天井に慣れてきたころ、私はそんなことを考えていました。
私の身体が発していた痛みや違和感というSOSを無視して、私は自身よりも「私ではないもの」を優先していました。
自己犠牲は尊い考えかと思いますが、自分がダメになったら私はどうやって我が毛玉たちや夫を守るつもりだったのでしょうか。
自身を最優先させることは自己中心的に見えて、実は「自分を存続させ続けることで大切な誰かを守り続ける」ことができるのです。
Instagramでいただいた「犬や猫を飼っていると、つい自分のことを後回しにしてしまう」「犬や猫ならちょっとしたことでもすぐに動物病院へ行くのに」というようなメッセージに、大きく大きくうなずいてしまいました。
そうなんです。話せない毛玉たちのことは「わからないからすぐに知ろうとする」くせに、自分のことは「わかってるつもりで全然わかってない・知ろうとしない」のです。
19日の激痛は「本能的にヤバイと感じる痛み」でした。散々SOSを発してきたのに、自分自身に無視されて「鎮痛剤で見ないフリ」されてきた私の身体。
こうして書くと、ひどくかわいそうなことをしてしまった。きっと「こんなに助けてって言ってるのに!!」と、憤怒の激痛だったのでしょう。
緊急入院は、もちろん仕事に大打撃をぶちかましました。でも、まるでこうなることが決まっていたかのように、ダメージは最小限でした。
なぜなら、私1人で行なっているわけではないからです。
「緊急入院・ほんとにごめんなさい・たすけて」こう伝えて、的確な対処をして動いていく仕事チャットを見ながら、ほんとうに頼もしい人たちに巡り会えて良かったなと感じていました。
そうはいっても、
悔しくて悔しくて
涙が止まらなかった
病室で声をひそめて
涙を止めなかった
私の積み上げてきたものが
ひょいっと盗られてしまったような
今まで毎晩
あーでもないこーでもないと
頭を絞ってワクワク考えてきたものが
違う人が料理したものになってて
悔しくて悔しくて
戦えない自分が情けなくて
悔しくて悔しくて
眠い目をこすってきた過程は
なんだ無駄だったじゃないかと
「そんなことは決してない」
そう言ってくれるに違いないけれど
悔しくて悔しくて
ここで我慢したら
この感情が残ってしまいそうだから
私は涙を止めなかったし
私は私の涙の理由を
否定しなかった
まるで熱が出て
遠足に行けなかった子供のように
私はただ泣いた
泣き疲れて
そのまま眠ってしまいたかった
「仕方なかったよ」
「無理しないでね」
甘やかされて嬉しい自分が
ほんとうに情けなくて
悔しくて悔しくて
消灯時間を過ぎ
静かな病室で泣いた
私は排泄を止めなかった
お小水も涙も
生きている身体から出てくるものは
驚くほど熱かった
ちゃんと、出そう。
ちゃんと、泣いておこう。
しこりになって
留まってしまわないように。