卵巣嚢胞で緊急手術したお話・前編

Last Updated on 2023年2月6日 by chii

本厄も例に洩れず、忘れた頃にやってきた。

いいや、ほんとうは、こんな日が来ることをちゃんと予感していた。

33回目の誕生日を目前にした21年6月19日、激痛が私をぶっ叩き起こした。

痛みって他人に伝えるのが難しいものだけれど、例えるならば「めっちゃ下痢の時の、背中や腰まで響くような激しい腹痛(でも下痢ではないから解決されないやつ)」がいい感じに例えられていると思う。

震源地は左ソケイ部で、脇腹や腰、背中など、左側のボディに走る痛み。冷や汗が出て、息が荒くなる。私の動物の本能が「これはヤバイやつの痛み」と察している。

「お腹痛い。ヤバイかもしれない。」と夫に伝えた。何かを察したのだろう、夫はスッとして受診できそうな病院に電話であたっている。私的に救急車を呼ぶか迷ったけれど、その頃はちょうど痛みの波間にいて、なんとか自分でタクシーに乗れそうだと思った。

こんなに痛くて失神しそうなのに、タクシーを待ってる間に「外に出られないふざけすぎたTシャツ」から「ただの無地Tシャツ」に着替えた。私のちっぽけな乙女心が振り絞った行動エネルギーだったけれど、今後はまともな部屋着を着て、みっともなくない下着を履こうと誓った。

結論から言うと、この激痛の原因は「卵巣嚢腫の捻転の疑い」とのことだった。卵巣は2,3センチ程度の小さな臓器だけれど、私の左の卵巣は13センチにも育ってしまっていた。

一次病院では処置ができないとのことで、二次の大きな病院に救急車で運んでもらった。救急隊員の中に、若い女性がおられた。

私の父は、定年を迎えるまで消防署長をしていた。若い頃はそれこそ現役隊員だったので、救急隊員の仕事、消防隊員の仕事、どちらにも誇りを持って勤務していた。

消防士時代はススまみれで帰宅したこともあったようだし、悲惨な現場にも多く行っていたし、楽しいことばかりじゃなかったと思うけれど、少なくとも私は今も父以上に「楽しそうに自分の仕事を語る人」と会ったことがまだない。

父が私に強要することは一切なかったけれど、もし私が彼女のように救命救急の仕事をしていたら喜んだだろうなと、交差点に侵入するたびに周りの車にアナウンスする凛とした彼女の声を聞きながら思った。

父の世代はまだまだ男社会だったから「女性が入っても、男と一緒の仕事がもらえないかも」なんて言ってたけれど、現場で働く彼女の姿がそれを覆していた。良い時代が来たんだよ、おとうさま。

無事に搬送していただいた私は、血液検査、再びのエコー、触診、レントゲン、造影CTなどあらゆる方法で中身をチェックしていただき、その日のうちに緊急手術してもらった。

手術開始が22:30過ぎ、終わったのは25:00頃だったそう。普段私がぼけらとしてる時間にも、こうして人の命を繋ぎ止めている人々がいるんだ。

とりあえず待機する部屋には、私の他にも搬送された方々がいた。

検査前、カーテン越しにお隣の声が聞こえてきた。

倒れて運ばれてきたご主人に奥様が「今!言って!先生の前で!休肝日を宣言して!」と言っていた。ちゃんと宣言してあげてご主人。私もお酒でやらかしたことは沢山あるから偉そうなこと言えないけれど、奥さんを心配させちゃだめだよご主人。今のノンアルは結構お酒みたいでおいしいよご主人。そんなことを思いながら、私はお腹の痛みをなだめていた。

夜間救命は、様々な物語がパラレルに密を成すところかもしれない。いつかみんなの今宵の出来事が、笑える思い出話になりますように。そう願いながら、私は診察のフルコースへとレッカーされて行ったのでした。

▼後半へつづく。

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