Last Updated on 2023年2月6日 by chii
「信じる」ことって、「そうであってほしい」と願うことかもしれない。
疑うより、信じることの方が良い。でも、信じることも疑うのと同じように「勝手なこと」だということを、忘れてはいけないなと思った。
自分以外の人を、動物を、自然を、思い通りにするのは難しい。愛犬愛猫にいつまでも変わらず元気でいてほしいのは、飼い主ならば当然の願い。だけれども、人も犬も猫も、生きとし生けるものは衰えていく。それは自然の摂理であり、仕方のないこと。私たちが生きるこの世界の時間は、一方向にしか進まない。ファミコン(懐)のゲームのように、何気なく進んで行ったらもう前の画面に戻れない。前の画面に取りこぼしたアイテムがあっても、もう取りに行くことはできない。
犬や猫の場合、身体は歳を取っても中身は幼さを残したままであることが多い。人間と共生する歴史の中で、子犬子猫の幼い特徴を持ち続けることを良しとしたため、また、それを彼らが良しとしたため。人間と犬や猫とでは持っている時間の長さも違うから、愛犬愛猫の老化現象は急に現れたように感じやすい。中身は赤ちゃんみたいなのに、身体の時間は確実に進んでいく。
それは悲しいこと?
「いいえ」
そう私は答えたい。そうあってほしいと願っている。
この生活がいつまでも続いてほしい、そう思えるのは、今が幸せだから。そう思わせてくれた毛玉に、そっと感謝を。失うことはこわいけれど、その恐怖に今の幸せが飲み込まれてしまいませんように。
犬や猫の持っている時間より、人間が持っている時間の方が長い。でも、何百年も生きる木に比べたらほんの一瞬の物語。
その一瞬のきらめきの中で「失いたくない」と思う相手と出会えたことがすてき。
相手の体温を、鼓動を、慈しむ時間がすてき。
ましてや、心を通わすことができたなんて、この上なくすてきなこと。
毛玉たちは今、この瞬間を生きている。自分がいつか永い眠りにつくことなんて考える暇もないほどに、彼らは今日を一生懸命生きている。
今、あなたに笑っていてほしい。
今、あなたのそばにいたい。
今、あなたの温もりを欲している。
公園で幼い子が「もっと遊ぶ」と駄々をこねる。「また明日遊ぼう」と大人は言う。子供は大人よりも「今、この瞬間」を生きているから、どうしても今じゃなきゃダメなんだと泣いて訴える。かよわい喉を枯らして、小さな身体の隅々まで震わせて、今じゃなきゃダメなんだと泣き叫ぶ。今を懸命に生きるその姿に、私は生命力を分けてもらった気がした。
同じ時間の線の上に、あなたがいて、私がいる。今、私がうんと幸せであるのと同じように、私があなたにも生きる幸せを与えられていたらいいな。膝の上でぐーぐーいびきをかいて眠る愛犬をなでながら、そうあってほしいと願っている。

2021年5月28日 良い匂いのする風の夜に。