隣の芝生が眩しい時は犬猫なでつつ目をつむる

30歳を過ぎたあたりから、自分と周囲の変化を感じやすくなりました。

10代後半〜20代は、右往左往するとしたら「将来の夢」や「恋愛」という、自分自身についての物事がほとんどでした。

私が結婚したのは26歳の時。親しい友人たちもぽつぽつと結婚し始めましたが、多くはまだ未婚。私も妊娠したわけでもなかったため、結婚をしたからといって特に大きな変化なく過ごしていました。

ところが30歳を過ぎたあたりから、周囲に出産ラッシュが訪れました。

私は子供を強く望むわけでも望まないわけでもなく、どこか決め切らないまま日々を過ごしていました。出産という一大イベントを経てさらに幸せそうな友人たちを見て、ぼんやりとした不安を感じ始めたのです。

「産まなかったら、後悔するのかも」

この気持ちが一番近いでしょう。産みたいのではなく、自分の後悔のことを考えてしまう時点で、何かが違っているとは分かっていました。

保護犬保護猫たちとの暮らしに、私はとても満足しています。ただ、私は彼らを子供代わりにしているわけではありません。大切に思う気持ちは同じですが、犬猫と人間は違います。

そんなことを考えていたとき、ふと、愛犬ウーノと目が合いました。ウーノは目が見えないので、実際に目が合っている訳ではありませんが、彼女は私の匂いと音を見つめています。

もし今私が出産をしたら、と想像してみました。新生児との生活に忙しく、私とウーノとの時間は減るでしょう。ウーノだけでなく、猫たちとの時間もそうです。

私はウーノを、後回しにしたくない。

胸のそこから浮上した、本心が見えました。

私は独身時代から、ペットショップで出会った猫・レディさんと暮らしていました。そこへ、ひょんなことから保護猫オム君・保護猫ネロ氏・保護犬ウーノちゃんと出会い続けて今に至ります。

オム君もネロ氏も子猫の頃に道で保護したのですが、両者とも私に目掛けて鳴いてうったえてきました。彼らの「生きたいのだ」という意思を受け、うちに迎えることにしたのです。

ウーノちゃんとはたまたま通りかかった譲渡会場で出会いました。オム君とネロ氏は「生きたい」という意思を感じましたが、ウーノちゃんの場合は生きることを諦めたような、無気力な様子だったことを強く覚えています。

目が見えないこともあったでしょうが、他の保護犬たちが元気よく過ごす中、ただぼんやりとケージの隅に座り、まるで棒切れのような無気力さでした。それは私が知っていた犬像とは程遠く、私はウーノに生きる喜びを与えたいと思いました。

このような出会いを経て2人と4匹が家族となったわけですが、この出会いのどれもが「こうなるようにできていた」としか思えないシチュエーションだったのです。

私は4頭それぞれ約20年の命を託されたのではないか、そう思えて仕方がありません。

よく「赤ちゃんは空からお母さんを選んで来る」と言われますが、4頭すべてがそれぞれの方法で、私を目掛けてうったえてきました。私が選んだのではなく、彼らが選んだのではないかと思うほどです。

令和の世となり、人々の人生が多様化する時代となりました。結婚してもしなくても、子供を産んでも産まなくても、性別・年齢・国籍を超えた個として、それぞれの思う人生を歩み出せる時代です。

とはいえ、まだまだモデルケースが少ないと感じます。どうしてもマジョリティ=正しいと思いやすいので、個を確立して生きている方の存在を知ることで自分に自信を持ちたい…そう思う方も多いのではないでしょうか。

有名人著名人だけではなく、声を荒げて自己主張するのではなく、ただ自然に個を確立して生きている人。そんな先輩が、次の時代には必要なのかもしれません。

膝に乗ったネロ氏が本格的に寝始めました。体温でしっとりしてきた私の太ももが、命の重力を感じています。もし子供を産まない道へ進んだとしても、私の人生は無味無臭なものにはならないでしょう。

私は赤子の体温を知らない代わりに、たくさんの体温を知っています。消えそうだった命のろうそくが再燃した喜びも、生きる喜びを取り戻した瞳のきらめきも、言葉なき絆があることも、私はたくさんのことを教えてもらいました。この人生はすでに、幸せなのです。

もしも個を生きることに不安を抱いている方がこの記事を読まれていたなら、ぜひお伝えしたい。あなたはきっと、たくさんの学びを受けてここまで生きてきて、あなたにしか得られない感情と経験を持っています。あなたはすでに、素敵です。

私も時々、選ばなかった道に対して後悔するかもしれないという不安を感じますが、それでも自分を励まして、明日も生きていきましょうね。隣の芝生が眩しすぎたときには、愛犬愛猫を撫でながらうっとりと目を閉じてみます。

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